(社会教育課)
●文化財等標柱設置場所
5 龍虎城跡【城山】


 慶長4年(1599年)庄内の乱の際に、伊集院甚吉等が等城に立てこもり島津勢と戦った。龍虎城は財部城、北俣城ともいう。城内に本丸、二ノ丸、財部城、飯地、池ノ上、小城、桜城、中丸、外城、野顕、松尾、和田尾など十二丸があり、要塞竪固であった。
龍虎城は、16世紀初め(1507〜1516年)に財部六郎正信によって築城されたと言われる。城は、12の砦から成りその形はあたかも虎がふし、龍がおどっている姿に似ているところから龍虎城と命名されたと言われ、別名、財部城、北俣城とも言われた。城内は本丸  二ノ丸、財部城、飯地、池ノ上、小城桜城、中丸、外城、野顕、松尾、和田尾など十二丸があり、要塞竪固な城であった。面積は約8ヘクタ−ルで、城のシンボルである本丸は、現在の忠霊塔のある台地に、中丸は正面入口のコンクリ−トの階段を登った頂上に築かれていた。慶長4年(1599〜1600)の庄内の乱である。時の龍虎城主は忠真の甥伊集院甚吉で城は、島津勢の攻撃にも落城せず、徳川家康の命で降状させられた。元和元年(1615年)一国一城令により廃城となったが、今も山城として原形をとどめ、貴重な城跡として財部町のシンボルとなっている。